2025年11月6日

二宮の稲穂

 


 二宮のスタジオのベランダで青々と稲穂が育ちました。嬉しい!

(写真は9月です。)

発芽をさせたのが、6月15日でしたのでちょっと遅いかなと思ってました。



 実はこの米粒はもう3年も冷蔵庫にしまってあったので、正直出るかどうか不安だったのです。3年前というとあきる野市で畑を借りていたころで、その時は陸稲で収穫していました。

 体調がおかしくなったり、続けて家族も具合が悪くなり(よくある話)、いろいろ事情があって通うのが大変になり、畑は地主さんにお返ししました。が、最後に採れた米つぶを冷蔵庫に保管してました。またどこかで植える日が来るかな〜っと思いつつ、やがて時は流れ、海の近くの二宮町にアトリエを持つようになるとは米も知らずって、そのうち何やらお米の値段がどんどん上がり始め、こうして今年また息を吹き返したというわけです。


 当時を思い出しつつ、最初は湿した新聞紙にパラパラっと巻いて挟んでビニール袋に入れておきました。数日後ちょっと開けたら、モジャモジャとヒゲが沢山伸びてました。一週間くらい後にまとめてポットに入れて水やりつつ様子を見ていたら、すくすく伸び始めました。

土があんまり深くないので、ちょっと可哀想かなと思っていましたが、この令和4年米はけっこう逞しく育ってくれました。

 もともとは令和2年(2020)当時6年生だった長男が、学校の田んぼで苗を植えるという授業でお米を家に持って来まして、家で苗になったら学校で植える予定がコロナで休校。予定が立たなくなったのでしたが、より広いあきる野の畑に行った、という顚末がありました。おかげでその子もよく育ち、今では高1になっております。

ちなみにまだ食していないので味はわかりません。今年は試しに食べてみようかな。




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さようならアートスタジオ五日市


  26年間続いたひとつの教室が今年の春、幕を下ろしました。アートスタジオ五日市はあきる野市戸倉にある版画スタジオで、かつてここには戸倉村の村役場があったのです。村は昭和30年代に合併により廃村となり、平成5年に建て替えられたこの場所は好景気の時代を背景にレジデンス事業を行うアートスタジオとして生まれ変わりました。


版画教室を始めたのは平成11年(1999年)の7月。役所の方から年に3ヶ月しか使われなくなっていたスタジオを憂いて相談があり、市主催の講習会の後、参加者の皆さんとも意気投合し、一年を通した版画教室を開くことを認めてもらいました。始めた当初はこのあたりでは珍しかったらしく10人くらい生徒さんが来てくれました。ところが3年して版画集を作り、展覧会を開くとその後誰も来なくなってしまいました。しばらくずっと地元の一人の方が通ってきてくれるという状態でした。そして市とは自主運営でという約束をしましたので、その通り運営していました。

2004年から一年間、私はポルトガルの奨学生となり教室を留守にしてしまいました。ところが戻ってくると生徒さんが1名増え、その後は増えることもなく減ることもなくいましたが、少しずついろんな方が来られるようになって、やがて出会いの機会が増えました。今大活躍している作家さんも来ていましたよ。皆さんとても明るかったです。

15年目くらいから、教室の存在が地元の輪の中にしっかり入ったなという感じがしてきました。ただ建物行政のよくあるパターンで数年やったら文化事業はカットという終末をあちこちで耳にしていましたので、少しでも長く引き伸ばせないかなという気持ちもあったんですが、正直それも薄れてきたころでもありました。ただこちらも長く居させてもらった分、使いやすいスタジオになったんではと思っていました。幸い本事業のレジデンスは毎年9月1日から11月30日まで開催され続け、コロナの中止の2年をはさんだ後に晴れの第31回目を迎え、この時は多くの気持ちが一つになった果実、そんな気がしました。レジデンスは今年も続いています。

教室を開いた時期はちょうど自身の中では結婚があり、子供が生まれ、仕事のいい時も悪い時もあり、親や家のこと、いろんなことが重なりました。それもこれも、このスタジオがあったから乗り越えてこられたんだなと思っています。いまさらながら感じる今日この頃です。

年初、教室閉鎖と決まったのは急な通告でしたが、ある意味この旧村役場に棲まう有象無象の霊たちから、「あー、お前はもういいよ」って言われたからなんじゃないか、と思っています(笑)。

教室を通して多くの方々に出会え、そして支えていただき大変ありがとうございました。

たくさんの思い出に感謝しています。皆さんお元気で。またお会いしましょう。

そしてサンキュー、アートスタジオ。


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古地図と稲取の今


 東伊豆町稲取を訪れたのは、去年の6月のことでした。国道135号線は南伊豆町の白浜や知人の陶芸家を訪問するのに何度か通った道でした。しかし、途中この小さな半島の地形や港に気が付かないで来ていました。 ところがイナトリ・アート・フェスへの参加をきっかけに、この一年あまりでどんどん南伊豆町とのかかわりが深くなってきました。ワークショップ、個展の開催。そして今夏、町の風景を描いた作品が出来上がりました。「今昔伊奈等利之図」という作品です。(オフィシャル公開は来年2月のアートフェス2026です。)

この作品は稲取の湊の遠景と天保時代に描かれた「伊豆国高村数」題の地図を組み合わせたものです。

 作品引渡し前の最後の一枚は、割れたタイルを直して完成としました(左)。タイルきれいにくっついた(つもり)・・・。

私の 描画スタイルは描いては焼いて、描いては焼いてをバカの様に繰り返しているのだけなので、タイル一枚を10回焼くというものざ

らです。もうちょっと賢くできないのかよ、とよく思うんですが・・・。 

 お陰でタイルは途中からヒビがバンバン入って割れて出てきます。割れては困るんですが、取り換えるのも難しいので、ひとまずは直そうとします。 ヒビの隙間に水で薄めた透明釉を筆で流し込んで、これを炉内に立てて焼くとうまくしみ込んでくれるようで、さらに今度は冷えてくると自重により隙間が閉じてくれるという仕組みです。 

 左は「今昔伊奈等利之図」の右側に描いた稲取の風景になります。焼く前なので灰色のところは酸化コバルトの顔料の色です。焼くと青くなります。左側に古地図が描かれていますが次回発表します。 割れの原因ですが、夏の暑い時に焼くのと色の濃いところと薄いところの伸縮の違いだと思います。パキッ! 

 この作品のお陰で、くっつけるのが更にうまくなりました笑。

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